住田 優
SUMIDA MASARU
2005年2月
山口県のレオーネ山口(現レノファ山口アカデミー)にコーチとして入団することが決まった私には夢がありました。
『レオーネ山口をJリーグクラブにする』
ビッグスワン(新潟)で観たアルビレックス新潟の試合に訪れる4万人を超える大観衆の熱狂を山口で、そしてその声援を受けて活躍する生え抜きの選手たち。
そんな光景を夢見て恥ずかしげもなく保護者総会でプレゼンしたことを昨日のことのように覚えています。
2015年レノファ山口はJ3昇格を果たしました。
そして現在、クラブはレノファ山口と名前を変えたもののレオーネ山口はJリーグの舞台で闘っています。
略歴
1978年3月生まれ
岡山県倉敷市出身
【学歴】
岡山県立倉敷青陵高校 中退
大検(現在の高等学校卒業程度認定試験)合格
JAPANサッカーカレッジ卒業(1期生)
【指導歴】
2005年〜2013年 レオーネ山口FC
2013年〜2023年 レノファ山口FC
2024年 アトレチコ鈴鹿(JFL)
【資格】
JFA公認A級コーチジェネラルライセンス
JFA GK-L1
JFA Sports Managers College (Grade3) 修了
JHoE(J League Head of Education)修了
など
情熱の源 〜マイライフストーリー〜
「無理だ」と言われ続けた挑戦の記録
私がプロサッカーコーチになりたいと言ったとき、周囲のほとんどがこう言いました――「お前には無理だ」。
平凡以下の選手としての経歴、人脈ゼロ、そして二度の高校中退。誰がそんな人間が成功すると信じるでしょうか?
それでも私は情熱と向上心だけを胸に、サッカー界に飛び込みました。以下はその挑戦の歩みです。
【高校時代と挫折】
- 1993年 岡山県立倉敷青陵高校入学
サッカー部に所属するも目立った成果はなし。素行の悪さから親を困らせ、高校3年生のときにブラジル留学費用を稼ぐため自主退学。親から勘当され、家を出ました。 - 1995年 千葉県船橋市 朝日新聞販売所で住み込み勤務
17歳で初めて社会に出て営業を経験。 - 1996年 千葉県立船橋高校定時制編入
サッカー大会で優勝するも、出席日数が足りず中退。二度目の高校中退となりました。
【新たな決意と再挑戦】
- 2001年 サッカー指導者を志す
人生をやり直そうと決意。働きながら大検(現・高卒認定試験)に合格し、サッカー専門学校進学の資金を準備しました。 - 2002年 JAPANサッカーカレッジ入学
27歳で指導者としての第一歩を踏み出すため、サッカー専門学校に進学。
【指導者としてのキャリア】
- 2005年〜2013年 レオーネ山口FC
27歳で指導者キャリアをスタート。NPO法人を設立し、理事長兼指導者として育成チーム(U15、U12、普及)の指導やクラブ運営を幅広く経験しました。 - 2013年〜2024年 レノファ山口FC
コーチとして全国社会人サッカー選手権優勝に貢献。その後、トップチームやU18・U15の指導を担当し、クラブのJリーグ参入に寄与しました。フロント業務も兼務し、クラブの経営基盤強化にも貢献。 - 2024年 アトレチコ鈴鹿(JFL)
JFLのトップチームコーチとして新たな挑戦。この1シーズンで3人の監督と仕事をしてさまざまな知見を得ました。
【現在】
プロサッカーコーチとして20年以上のキャリアを活かし、サッカークラブのマネジメントや人材育成のコンサルタントとして起業。クラブ運営者や若手指導者の支援を行いながら、スポーツ界の未来を創る活動を続けています。
「行動が変われば結果が変わる」
私の人生は、数え切れない悩みと試練の連続でした。しかし、その度に多くの方々に支えられ、ここまで歩むことができました。
その中で学んだのは、意見を聞くことの大切さと、最終的には自分の意志で行動を決断する力が、目標達成の鍵になるということです。人の意見を尊重しつつも、自ら行動を起こすことで未来を切り拓く――その実感を得ました。
今、これまでの経験を振り返り、多くの学びを共有するべき時が来たと感じています。私が得た知識やスキルは、スポーツ界をともに盛り上げる仲間である皆様のアシストに役立てられると信じています。
未来を掴むかどうかは、行動を起こすかどうかにかかっています。
私たちには、その未来を変える力がある。
さあ、一緒に素晴らしい未来を掴み取りましょう。